こうも曇りや雨が続くのには閉口する。だだでさえ鬱々としているというのに、一層憂鬱になるではないか…。
といって、今はやりの「うつ病」では断じてない。古医書に「明を喜(この)む者は陽に属し、元気実なり。暗を喜む者は陰に属す、元気虚なり」*とあるように、まだ暗いところよりも明るいところを好むから。
*許浚『東医宝鑑』内景篇二・夢・睡弁陰陽虚実「喜明者属陽、元気実也。喜暗者属陰、元気虚也。」。
そう、明るさを好むことと、明るく振る舞うこととの間には、はっきりとした違いがある。
明るさを好む者はたいがい傍目に鬱屈していることがわかるけれども、明るく振る舞う者は必ず根から明るい者と勘違いされる。
太宰治は、明るくしている者の真の姿を、うまく表現している。
「ああ、悲しいひとたちは、よく笑う。」 『おさん』より
「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」 『右大臣実朝』より
表に現れるものがすべて、真実を示し伝えるものではない。その多弁さは、その高笑いは、真の姿を偽り隠すための精一杯の表現なのだ。その表現が強ければ強いほど、その裏にあるものの、内に秘めたるものの大きいことを知る。
けれども、どうやっても嘘をつけないものがある。それは、声と脈である。甲高い声、沈み見えづらい脈、これはごまかせない。
ふと思う、天地自然の変調は天地の間に居る動植物に変調をきたすが、天地の間に居る動植物の変調の天地自然に変調をきたすことは、はたしてあるやいなや、と。
以上、脈絡無く、思いつくままに記した。せめて写真だけでも、青空にしておこう。