未病

未病
未病とは、今人を脅す常套のレトリックに過ぎぬ。言わば、「備えあれば患い無し」の高じた表現である*。単なる養生(摂生)の強要である。

*『尚書』商書・説命中「有備無患」、『春秋左氏伝』襄公十一年所引の『尚書』「居安思危、思則有備、有備無患」。その要は、「転ばぬ先の杖」である。


 
 

未病とは、今人を罵る方便に過ぎぬ。すでに二千年も前の古人ですら、上古の人を以て自らを罵っているではないか*。もとより聖人など居らぬ。古人も今人もさして変わらぬものらしい。

*『素問』上古天真論「上古之人、春秋皆度百歳、而動作不衰。今時之人、年半百而動作皆衰(上古の人、春秋皆な百歳を度(こ)えて、動作衰えず。今時の人、年半百にして動作皆な衰う)」、四気調神大論「聖人不治已病、治未病(聖人、已病を治せず、未病を治す)」。『淮南子』人間訓「人皆軽小害、易微事、以多悔。患至而多後憂之。是猶病者已惓、而索良医也。雖有扁鵲、兪附之巧、猶不能生也(人は皆な小害を軽んじ、微事を易(あなど)り、以て悔多し。患い至りて後に之れを憂うこと多し。是れ猶お病者の已に惓(はげ)しくして、良医を索(もと)むるがごとし。扁鵲、兪附の巧有りと雖も、猶お生かす能わず)」。


未病とは、生にあらず、また死にもあらず、無に同じ。生とは、少壮老の変化、病の発端、死の端緒である。生と死は、表裏一体のごとし、又老と病も然り。老いを常とする生には、病はもとより、避くべからざる死があるのみである。

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