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教育とは「抽きだす」ことを意味するとはひじょうにしばしばいわれた言葉であるが、もしわれわれがそれをたんに注入という過程と対照する意味においてのみ用いるならば、それはよい言葉である。しかしながら、けっきょく、この抽きだすという観念を、三歳・四歳・七歳・ないし八歳の子どもの日常の行為とむすびつけるのは困難なことである。子どもはすでに走りまわり、ものをひっくり返し、あらゆる種類の活動をはじめているのである。子どもは、或る潜んでいる活動の萌芽をおとなが漸次に抽きだすために多大の注意と熟練をもって接近せねばならぬというような純粋に潜勢的な存在ではない。子どもはすでにはげしく活動的であり、教育の問題は子どものこの諸々の活動をとらえ、この諸々の活動に指導ををあたえるという問題なのである。指導によって、つまり、組織的にとりあつかわれることによって、子どもの諸々の活動は、散漫であったり、たんに衝動的な発現のままにまかせられていたりすることをやめて、諸々の価値ある結果へとむかうのである。
 デューイ『学校と社会』第二章・学校と、子どもの生活より

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