死、そして死後

「死」
恐怖すべきもの
芥川龍之介『侏儒の言葉(遺稿)』自殺に曰く「万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。」と。

嫌悪すべきもの
山田風太郎『戦中派不戦日記』に曰く「余は死を怖れず。勿論死は歓迎せず。死はイヤなものなり。…しかれどもまた生にそれほどみれんなし。生を苦しと思うにあらざれど、ただくだらぬなり。金、野心、色欲、人情、もとよりわれもまたこれらより脱する能わず、しかれどもまた実につまらぬものにあらずや。」と。

斟酌のないもの
山田風太郎『人間臨終図巻』に曰く「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す。」と。
又『図巻』引く夏目漱石『硝子戸の中』に曰く「多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人は何うという訳で私より先に死んだのだろうかと思う。」と。

「死後」
地獄、天国
『図巻』に曰く「あの連中も待っていることを承知の上で、それでも君は『死後の世界』があることを望むのか?」と。
芥川龍之介『侏儒の言葉』地獄に曰く「人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。…しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。」と。
又『侏儒の言葉(遺稿)』天国の民に曰く「天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていない筈である。」と。

無、終
山田風太郎『死言状』死に支度無用の弁に曰く「怖れようが悲しもうが、死はなんの斟酌もなく無の世界へ―無という自覚も存在しない世界へ運び去るのである。」と。
又『図巻』引く寺山修司が言に曰く「生が終わって死がはじまるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのである。」と。
又『戦中派不戦日記』に曰く「五十年の生、これら万花万塵の中に生きぬき、しかも死や必ずこれにピリオドを打つ。しかしてその後にその生を見れば、その生初めよりこの地上になきもほとんど大差なし。」と。
 
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