050201

 ここに

今日から父親が眠る。墓を持たない我が家は、いずれみんなここに眠る。そういうことになっているらしい。なのでいつか私もここにくる。ふとそんなことをおもったので、せっかくだから父親を思い出して、ちょっとつらつら。
元来こういうことは信じない性質だが、と前置きし。
父親が逝くことを決めたその日、閉め切った部屋の中で肩先に風が吹いた。その数時間後、携帯がなった。見知らぬ人の声。一言聞いた瞬間に察しがついた。
翌日すでに命の消えたその肉体だけが、横たわっていた。その夜も、そしてさんずの川を渡った日も、どしゃぶりだった。そして今日もすっきりしない天気。でも灰になったその日は、青空が見えた。いく決心がついたのかどうなのか。でも今日の天気を見ると、まだ戻りたいのかもしれない。そばにいる分には大いに歓迎。だから、大いに迷えばいいけれど、あちらにはかわいがっていた猫達もいる。そのほかにもあちらにいる知り合いも随分増えているはず。迷わず、行ってみてもいいのではないかともおもう。それに私もいずれ必ず、いくのだから。
考えてみれば、最後の電話をとってあげることができなかった。だから、その前の電話が最後になる。その数分の会話は鮮明に覚えている。生涯わすれない。とおもう。たぶん。とれなかったあの電話のことについてふとした隙をねらって闇がおそう。しかし後悔なんてまったくしていない。いつでも後悔なんてできる。そのために入る闇は真横に常に用意されている。簡単にいつでもそこに落ちることはできる。
それよりも写真を思い出したのはこのときかもしれない。最後に一緒に写真を撮ったのはいつだっけと考えて。だからでもないけれど、魂のいってしまった、あなたの体、顔、何枚も撮った。大好きな煙草も眠るそばに置いて記念写真。気に入っていた帽子と服と、川を渡るためのほんの少しの小銭をもって出発した。はずだよね。なのに、今日はまたなんで、こんな天気よ(笑)。とにかく笑わせてくれる。最後に私達に宛てた手紙も、書き残した大量の文章も、下手な詩も、お気に入りの詩集も。こっそり買い込んでいたお菓子も。片付けながら、お姉ちゃんと涙を流しながらゲラゲラわらい、泣きながら片付けた。笑うことと泣くことは似てる。と実感した。とにかくいつでもあえるから。庭に咲く季節の花はお姉ちゃんがかかさず届けるから。だから、次に会いに行く日はどうか、青空で迎えてほしいなあ。でも今日は天気はいまいちだったけれどいいこともあった。面白いことに、食いしん坊の父親からの贈り物とばかりに、美味しいものをたくさん食べもし、買いもした。きっとこれは、父親の「サンキュー」なんだろうな。