鍼灸院名:
従業員数:
院長:
生年月日:
出身校:
学位:
取得資格:
はり師
きゅう師
あん摩師
マッサージ師
指圧師
診療科:
はり
きゅう
あん摩
マッサージ
指圧
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所属:
略歴:
《2003年4月〜04年3月:母校陸上部コーチとなる》 《2001年4月:吉岡鍼灸院を開業》 《2001年3月:明治鍼灸大学卒業》 《2000年4月:はり師・きゅう師免許取得》 《1997年4月:明治鍼灸大学入学》 《1997年3月:鎌倉学園高等学校卒業》 《1994年4月:鎌倉学園高等学校入学》 《1991年4月:鎌倉学園中等学校入学》
略年表:
《1991年4月:鎌倉学園中等学校入学》 《1994年4月:鎌倉学園高等学校入学》 【4月 陸上部(長距離・駅伝)に入部】 たまたま長距離を走るのが得意で、母校の陸上部(駅伝)が強かったこと、中等部の時から監督に入部を勧められたことなどがきっかけで、活躍を夢見て高校より陸上部に入る。毎日、朝と放課後に練習をする(“継続は力なり”とはよくいったもので、特にこの長距離ほど日々の練習がものをいうスポーツはない)。 【5月 故障(けが)に悩まされる】 現実はそう甘くなく、入部早々から故障に悩まされ、整形外科に通う日々が続く。足しげく整形外科に通院するも、いっこうに回復せず。レントゲンをとり湿布薬の処方と安静指示というその治療方法に疑問を抱き、通院するのを中止。練習ができない日々にあせりを感じる。 【6月 鍼灸との出会い】 そんな時、近所の知人より“鍼灸”がよいとの話を聞く。すぐに紹介された鍼灸院へわらをもすがる思いで(怖いながらも)行く。 今となっては笑い話だが、はじめて鍼をされる時の怖さは今でも鮮明に覚えている。実際は、痛くもかゆくもなく、足の痛む部分にも触れることもなく、治療は十五分程度であっさりと終わる。とにかく言われるままに週一回のペースで通い、一ヶ月半も経とうかという頃には体調を含めかなりよくなる。 【8月 効果の実感】 陸上の長距離には合宿がつきもので、学校でよく合宿をする。期間は一週間ほどで、四日目あたりの午後の練習が休みになる。その頃には、足は筋肉痛でまるで棒のようになっているので、それをなんとかするべく例によって鍼灸院へ駆け込む。治療はいつも通りで、筋肉痛がある部分には指一本もふれず、さっさと終わってしまう(不満ながらも合宿所へ戻る)。翌朝になっても筋肉痛に変化はなし。しかし、いざ練習に入ると痛みはするものの、体がやけに軽く呼吸も楽で驚く(普通ではこのようなことは起こらない)。 鍼灸の効果を実感するとともに、“痛み”の解消もさることながら“調子”を整えることが重要なんだと気づく。それ以後、引退するまでお世話になることに。 【95年2〜9月 他の治療院巡りと業界の把握】 陸上の長距離選手には故障がつきもので、各選手が各々好きな治療院(接骨院なども含む)に通っているのが現状。当然ながら、選手同士で治療院の選別がなされ、その情報をもとに皆で治療院巡りをすることに。 そうしているうちに、各治療院の治療方針やそのスタイルの特徴が見えてくる。大きく分けて二つ。一つは“痛み”のみに対しアプローチをするもの、一つは“痛み”よりも“体調(よく言う体のバランス)”を整えていこうとするもの。スポーツ選手にとっては、“痛み”はもちろんのこと、“コンディショニング”というものも重要な事項であるから、おのずと“体調”の管理もできるような治療院に通うようになっていく。 【12月 進路の決定】 当初の将来設計は高校の体育教師であったが、求人がきわめて少ないという現実から進路変更を余儀なくされる(趣味で家庭教師・母校陸上部コーチをしている)。そこで、鍼灸師か美容師の二つの候補があがることに。鍼灸師の方は、毎週世話になり、その効果のほどを体感していたこと、“痛み”以外の症状(例えば花粉症・アトピー・喘息のようなアレルギー疾患などなど)にもよいということを聞き及んでいたことから候補となる。美容師の方は、髪を切る仕事に対しかなりのあこがれがあったことによる(今でも大いにあり、知人のヘアカットをすることもある)。 これら二つを天秤にかけた結果、鍼灸師の方がより長く続けられること、自分や家族を含め多くの人の健康に役立てるということが決定打となり、鍼灸師の道を選ぶことになる。 これはひとえに、はじめてお世話になった鍼灸院のおかげといえる。この当時の鍼灸に対する見解は今でも変わらず、その後の進路や治療方針、そのスタイルまでをも決定づけるような経験となる。なかなかよい選択であったと我ながら思う。 《1997年4月:明治鍼灸大学入学》 【4月 大学の勉強】 意気揚々と入学したものの、入学早々から教育内容などに愕然とする。入学以前より了解のことであったが、“鍼灸”のことではなく“医学”のことばかりを学ぶことに(4年間)。ここで言う“鍼灸”は、自身の体験した治療方針・スタイルのこと。それは、“中国医学”独自の言葉・身体感を土台にするもので、“医学”とは基本的に概念が異なる。また、先にも触れたように“鍼灸”にも大きく二つの立場があり、大学を含む教育機関では基本的に“医学”的見地をもとに“痛み”へのアプローチを主体とする方法を教える。業界の大方は、それである。 【5月〜98年3月 独学の一年】 仕方なく、入手できるだけの自分のしたい治療スタイルに関する本を読むことにする。学校外部でそれらを扱う勉強会も多数存在し(いわゆる派閥・流派的な要素があるために)、いくつか顔を出すものの理解できずに断念。 【98年4月〜 勉強の時】 自分にあった勉強会はないものか?と思っていたところ、運良く先輩から今でも所属している会を紹介される。4月から新しく講習会がスタートするとのことで、迷わず受講。実際、今まで見てきた会よりも説明がわかりやすく簡単な上に、独学で身につけた単なる知識が現実味をおびたものとして再認識されるという衝撃的な経験をする。現在も会員として月二回關西へ赴き勉強会に参加をしている。 【99年11月 日本鍼灸臨床文献学会に出演】 所属する会(日本鍼灸研究会)後援の学会で、その当時で7回目の開催。以後、毎年出演中。 《2000年4月:はり師・きゅう師免許取得》 【11月 勉強会での演題担当開始】 会員数名が、担当を決めて毎月の例会で発表をする。今現在も継続中。 《2001年3月:明治鍼灸大学卒業》 《2001年4月:吉岡鍼灸院を開業》 【4月 開業】 当初は就職をする予定であったが、前記のごとく同じ治療スタイルをとる鍼灸院が皆無であるために断念(以前お世話になっていた鍼灸院とも若干スタンスが異なる)。98年の4月より勉強をはじめてちょうど3年経ち、その間1000人ばかりの治療もし、それなりに治療スタイルも身に付いていたので開業に踏み切る。開業するのが一番の上達方法との助言も、その理由の一つ。 【9月 日本医史学会に出演】 この当時で102回目を数える歴史のある学会。以後、毎年出演中。 《2003年4月:母校陸上部コーチになる》 《2004年3月:吉岡鍼灸院公式ホームページ設立》
ひとこと:
医学のことは医師が、鍼灸のことは鍼灸師がするべきであるという考えから、1930年代以降に創案された日本の古典的鍼灸(井上系経絡治療)の立場を取り、症状ではなく、それを起こしている体の状態(根本たる五蔵の変調)そのものを治療対象とします。 具体的には、中国医学の伝統的かつ最も重要な診察法である脈診を軸に、手足の要穴(重要なツボ)を主な治療の場として、五蔵の変調を調える全身的な治療をしていきます。また、ごく浅く接触することを中心とした、撚鍼という気を調えるための最も合理的な古来からの刺法を行います(ですから、肩が痛かったらそこに鍼を刺して電気を流すような整形外科的な治療は一切いたしません)。 そうすることではじめて、主に精神疲労によるアトピー・花粉症・喘息などのアレルギー疾患や五十肩・ヘルニアなどの運動器疾患、自律神経失調症といった現代医学(薬)では治らない疾患や、そのほか小児鍼(こどものはり)・産前産後の治療(妊娠中のつわり・逆子や安産、産後の肥立ちなど)・不妊治療(男女共)・美容(ニキビ・わきが・多汗症など)・スポーツ選手の体調管理・病気の予防(健康管理)といった多岐にわたる方面に対応ができるのです。 なお、症状を起こしている五蔵の変調は、長年の生活によって築かれてきたものですから、継続的な治療を通して少しずつ五蔵の調和を計っていく必要があります。言うまでもなく、〈長いものはそれだけ長く〉〈短いものはそれだけ短く〉ということになります。 人は、まさにこの画面を見ている最中にも、自然の変化(四季の移ろい)に応じつつ、絶えず五蔵は変化・衰退しています。ですから、自然およびそれに影響され続ける五蔵に支配されている私たちは、本質的には五蔵を補養することで病気を治療し、かつその年齢に応じた健康を保っていくしかすべはないのです。 私たちは、この世に生を受けたと同時に死という終着駅に向かう列車に乗っているようなものです。その列車は、当初は各駅停車として生という駅を出発します。が、途中から何らかの理由によって知らず知らずのうちにその運行が乱れ、時に急行となり、気がつけば特急になっていたということも多々あります(中には予期せぬ脱線もありますが)。今はどのあたりを走り、またその速度はどれくらいであるのか、ということを知り、終着駅までの予定を見直し、その速度をどれだけ制御できるかが、今後を握る鍵となります。いったん暴走してしまった列車は、なかなか止まりませんし、走り過ぎた地点にはもう後戻りはできませんので、その点も留意しなくてはなりません。 症状の改善はもちろんですが、これを契機に長い目でご自身の健康について考えられてはいかがでしょうか。健康の維持こそが最大の予防なのです。
番外編
略年表中の内容を書きあらためたものです。
進路:
【きっかけ】 高校の時、陸上部(長距離・駅伝)に入部したことがすべてのはじまりなんです。たまたま長距離を走るのが得意で、母校の陸上部(駅伝)が強かったこと、中等部の時から監督に入部を勧められたことなどがきっかけで、活躍を夢見て高校より陸上部に入ることとなりました。けれども現実はそう甘くなかったんですね。入部早々から故障(けが)に悩まされ、整形外科に通う日々が続きました。“継続は力なり”とはよくいったもので、特にこの長距離ほど日々の練習がものをいうスポーツはないでしょうね。すみやかに回復しなければ、練習ができぬままあっという間に二月三月は経ってしまうんです(場合によっては一年間棒に振るということもままあります)。足しげく整形外科に通院するものの、残念ながらいっこうに回復せず、レントゲンをとり湿布薬の処方と安静指示というその治療方法に疑問を抱き、とうとう通院するのをやめてしまいました。本当にあせりましたね。そんな時、近所の方から“鍼灸”がよいとの話を聞き、すぐに紹介された鍼灸院へ冗談抜きにわらをもすがる思いで(怖いながらも)行きました。今となっては笑い話ですが、はじめて鍼をされる時は冷や汗がでるほど怖かったんです。今でも鮮明に覚えています。実際は、痛くもかゆくもなく、足の痛む部分にも触れることもなく十五分程度であっさりと治療は終わってしまいました。拍子抜けしましたけれど、とにかく言われるまま週一回のペースで通いました。一ヶ月半も経とうかという頃には体調を含めかなりよくなっていましたね。 【実感】 本当に効果というものを実感したのは、一年生の八月でした。陸上の長距離には合宿がつきもので、長期休暇がある時期は必ず数回合宿をするんです。期間は長いもので一週間、四日目あたりの午後の練習が休みになります。なにしろ朝・昼前・夕方と三部練で、一日の走行距離は約50qですから、その頃には足は筋肉痛でまるで棒のようになってしまう。それをなんとかするべく例によって鍼灸院へ駆け込むわけなんです。けれども、治療はいつも通りで、筋肉痛がある部分には指一本もふれずにさっさと終わってしまう(不満ながらも合宿所へ戻っていくんです)。翌朝になっても筋肉痛に変化はないんですね、これが。しかし、いざ練習に入ると痛みはするものの、体がやけに軽く呼吸も楽なんですね、本当に。これにはひどく驚かされました。普通ではこのようなことは起こらないですから。 この体験によって、下世話な言葉ではありますが、鍼灸って“効く”んだなぁとつくづく感じましたね。それに、“痛み”の解消もさることながら“調子”を整えることの方がなによりも重要だということにも気づきましたね。それ以後、引退までお世話になることになってしまいました。 【決定】 ところで、当初の将来設計は高校の体育教師になることだったんです。が、どうも求人がきわめて少ないという現実を知り、進路変更をせざるをえませんでした。ならば他の道をと考えた結果、鍼灸師か美容師かという二つの候補があがりました。鍼灸師の方は、当たり前かも知れませんね。毎週世話になっていましたから、その効果のほどを体感していましたし、またスポーツ障害や肩こりなどのいわゆる“痛み”以外の症状、例えば花粉症・アトピー・喘息のようなアレルギー疾患などなどにもよいということを聞き及んでいましたから候補となったわけです。美容師の方は、あまりにも脈絡がない選択肢のように見えますけれど、髪を切る仕事にも実はあこがれがかなりあったんです(今でも大いにあり、知人のヘアカットをすることもあるんです)。 これら二つを天秤にかけた結果、鍼灸師の方がより長く続けられますし、自分や家族を含め多くの人の健康に役立てるということがなによりの魅力でしたから、鍼灸師という道を選択することにしたわけなんですね。 【裏話】 実は、おまけの話があるんです。よろしければ、ついでに読んでみてください。 高校三年間は、ひたすら鍼灸のお世話になっていた私ですが、その間ずっと同じ鍼灸院だけに通ったわけではないんですね。陸上の長距離選手には故障がつきもので、各選手が各々好きな治療院(接骨院なども含む)に通うんですね。そうすると、選手同士でどこどこの治療院の鍼がイイだ、マッサージがイイだ、なんて具合に情報交換をするわけなんです。そこで得た情報をもとに、皆で今日はここに行ってみよう今度はあそこにしようと、なかば物見遊山的な感覚で治療院巡りをするんです。そうこうしているうちに、各治療院の治療方針やそのスタイルの特徴が自然とわかってくるんですね、たいした知識がなくても。簡単にわければ、次の二つになるかと思います。一つは“痛み”のみに対しアプローチをするもの、一つは“痛み”よりも“体調(よく言う体のバランス)”を整えていこうとするものです。スポーツ選手にとっては、“痛み”はもちろんのこと、“コンディショニング”というものも重要な事項なんですね。ですから、おのずと“体調”の管理もできるような治療院に通うようになっていきました。はじめてお世話になった鍼灸院がそういう所でしたので、運が良かったんですね。この時の見解は今でも変わりありませんし、その後の進路や治療方針、そのスタイルまでをも決定づけるような経験ができたんです。 長くなりましたけれど、こんな具合にして若いなりに将来設計をしたんです。今ではなかなかよい選択だったなぁと我ながら感心しております。
学習の時:
開業:
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こちらは神奈川県横浜市戸塚区吉田町の吉岡鍼灸院公式ホームページです。医学のことは医師が、鍼灸のことは鍼灸師がするべきであるという考えから、1930年代以降に創案された日本の古典的鍼灸(井上系経絡治療)の立場を取り、症状ではなく、それを起こしている体の状態(根本たる五蔵の変調)そのものを治療対象とします。具体的には、中国医学の伝統的かつ最も重要な診察法である脈診を軸に、手足の要穴(重要なツボ)を主な治療の場として、五蔵の変調を調える全身的な治療をしていきます。また、ごく浅く接触することを中心とした、撚鍼という気を調えるための最も合理的な古来からの刺法を行います(ですから、肩が痛ければそこに鍼を刺して電気を流すような整形外科的な治療は一切いたしません)。ストレスによる花粉症、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、喘息、不眠、偏頭痛(子供も含む)、更年期障害、うつ状態、うつ病、生理痛、生理不順、冷え症、むくみ、ヘルニア、坐骨神経痛、腰痛、肩こり、ニキビ、顎関節症、自律神経失調症などの緒症状をはじめ、不妊(男性を含む)・小児鍼(子供(こども)のはり)・産前産後の治療(妊娠中のつわり・逆子や安産、産後の肥立ちなど)・美容(にきび、わきが、多汗症など)・スポーツ選手の体調管理(コンディショニング)など幅広いニーズにお応えいたします。 ご相談やご質問もメール・電話にて受け付けておりますので、お気軽にご連絡ください。戸塚駅東口より舞岡方面徒歩7分、サンテラスユニーの先、戸塚税務署手前。携帯用のページもありますので、そちらもご利用下さい。URlはhttp://m.yoshioka49in.com/です。はり・きゅう専門の吉岡鍼灸院(よしおかしんきゅういん)。鍼灸師・吉岡広記(よしおかひろき)。