ありのままに言えるのは、ありのままをありのままに感覚し、ありのままをありのままに表現することはできない、ということだけである。
たとえば、四つ葉が珍しいのは通常のクローバーが三つ葉であることに拠るが、それを知らなければ見つけることはできない。そもそも見つけようともしないだろうし、かりに見えていても、見過ごすか、あるいは何の感慨も覚えることはないのだから。それは、言わば無いのと同じことである。
本意とは異なるだろうが、このことについて、太宰治の下の言葉がぴったり合う。
「はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。」(『I can speak』より*)
*『新約聖書』のヨハネ伝福音書「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」を約めたもの。
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