代替医療と統合医療

代替医療
ずいぶんと貶められたものだ。いや、本当は擦り寄って自ら従属の道を選んだのだ。羨望の眼差し、追従、ああ、なんて卑しい。羨むのなら、意地でも医者になればよかったではないか。見込みがないのなら、きっぱり諦めるがよい。未練は、もっとも、惨めなり。


認められたと思ったら大間違い。勘違いも甚だしい。そうした枠をはめられ、またそれを受け入れた段階で、負けは決まったのだ。そこに安住するは、まったくの無知である、自尊心のかけらもないただの腑抜け腰抜けである。もはや、消されるが先か、消すが先かではない。自ずから消えゆくのみである。


もっとも致命的であるのは、代替もなにも、そもそも両者には画然たる差があること、おのおの相容れぬ固有の認識を有していることに、まったく無自覚なことである*。故に、融合することに、またそうされることに、いっこう疑問も危惧も覚えぬのである。まして、その果てに何が待っているかなど、思いを致すはずもない。

*言うまでもなく、固有の認識とは、非個人的、つまり体系的な認識のことである。独自的、独創的ということではない。けれども、体系的な認識のあったことは忘れ去られ、あるいは自ら恣意的に捨て去り、百家争鳴の様相を呈している。外部から手を突っ込まれる以前に、すでにして自壊しているのである。それすら気づかぬ有り様にて、いかんともし難し。


統合医療を達成するための第一歩。それどころか、もう王手もよいところである。

統合医療
要するに、現代医学主導の吸収合併、代替医療の無力化、果ては煙滅である。

疑うなら、今の漢方を見よ。なんの違和感も覚えぬのなら、それも致し方なし。

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