直視できないために②

「治療法としての戦争」*という手段は、確かにある。しかし、内憂を直視せずに行われる外患へのあらゆる攻撃は、似て非なるものと言わねばならない。

 *ニーチェ『漂泊者とその影』のアフォリズム187に「治療法としての戦争。――生気なく、またみじめになってゆく諸民族に対しては、戦争をその治療法として――つまり彼らがどうしてもまだ生きつづけたいのであれば、――奨めてしかるべきだろう。なぜなら、民族の病む肺結核にも或る荒療治があるからである。だが、永遠に生きたいとか、死なずにいられるなら、などと願うことは、それ自体すでに、感情の老衰の徴候である。より充実し、より力強く生きるのであればあるほど、それだけ速やかに、生命をただひとつのすぐれた感情のために投げ出す覚悟ができるというものだ。このように生き、また感じる民族は、戦争など必要としない。」とある(『人間的、あまりに人間的Ⅱ』、ニーチェ全集6、ちくま学芸文庫、404~405頁)。

覚書一覧

カテゴリー: 覚書 タグ: パーマリンク