まずねぎらいを

「どうしてこうなるまでほうっておいたのか」、「なぜもっと早く来れなかったのか」などというセリフは、依頼を受ける側の、こうなる前にもっと早くに治療するべきだったという判断、――治療者特有の思い上がりの為せる患者への心ない叱責であるが、その底流には、同時に感じる、なぜもっと早くに自分を頼らなかったのかというごく個人的な感情、つい自分が軽んぜられたと錯覚してしまうための悔しさ、患者に対する憎しみが、多分にあるのではないか。
こうなるまでほうっておいたのは、あるいは知らずに居たり、あるいは(恐怖や金銭的な問題など様々な理由によって)我慢して居たり、あるいは無理に連れて来られたということもあるだろう。事情の奈何を問わず、患者のやっとの思いで来たことそれ自体がまずねぎらわれるべきではないか。診察や治療は然る後のことである。
ついでに言えば、ずっと見守っていた家族が、不当にも治療者(時に警察)からその責めを受ける場合もあるが、同様に、よくぞここまで、くらいの思いやりはあってしかるべきではないか。注意を怠ったなどと嫌疑をかけるなどもってのほかであるし、たとえそうであってもそれは本人の強い願いかも知れない。とかく家族の問題に深く関わること故、叱責など軽々にはできない。

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